共に生きる共同体

 歴史に「もし」という言葉は御法度でしょうが、それにしても今のこの時期に駿府教会に居合わせなければ、この「歴史的大事業」を目の当たりにすることはできませんでした。「もし85年いた水落町での土地が借地ではなかったら、相生町に土地を求めることはなかった」し、「もし私が改革派教会から転会しなければ、建築委員長としての役目はなかった」はずなのです。また「もし瀬谷先生の紹介がなければ、西沢さんが設計した礼拝堂・牧師館が現在のようにはならなかった」ですし、何を隠そう「瀬谷先生が来静し、熱心なご指導がなかったら、今回のことは形にもならなかった」かもしれません。いずれにしてもたくさんの方々の祈りと働きにより、2008年5月31目に「完成・引き渡し」が行われたのでした。

 2005年2月の「臨時教会総会」で会堂所在地移転を決議して以来、土地の売買契約が終了したのが1年7ケ月後のこと。起工式は2007年6月。完成にはほぼ1年を要しました。教会堂建築委員会は40回、教会全体懇談会は23回を数えました。決して順風満帆だったわけではありません。予算をはるかに上回る礼拝堂・牧師館の見積り。建築献金のさらなる呼びかけ。減額調整。そして工期の大幅な遅れ。信仰が試されているかのようでした。

しかしたくさんの方々の祈りと献金。特に教会外からの献金(外部献金)は990万(個人13件・教会265件)を超えるものとなったのです。「主は確かに生きておられる」だけでなく、全国のキリスト教会の躍動も献金を通して感じざるを得ませんでした。

 2008年3月27日。水落町から相生町へ引っ越し牧師館は何とか間に合いましたが、礼拝堂は未だ未完成。でも何か不自由そうだけど、必要は満たされ、私たちは4月から毎週礼拝を行うことができているのです。

 私たち駿府教会は「神によって互いに結び合わされ、共に生きる共同体を形作る」者としてさらに躍進していきたいと考えております。土地探しから設計まで導いてくださった西沢設計、木造建築のスペシャリストとして制作してくださった杉山工務店、そして、駿府教会の建築委員会・会員の方々、祈り、支えてくださった多くの方々に対しまして、この場をお借りして御礼を申し上げます。



建築委員長 桐原 健一

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