駿府教会の設計について

 駿府教会のみなさんとはじめてお会いしたのは、3年前の秋でした。まだ移転先が決まっていない頃で、1時間あまり面接をしてくださり、土地探しから設計までご協力することになりました。

 移転先にたいするみなさんのご希望は、「なるべく市の中心部に移転したい、そして新たな伝道に力を注ぎたい」というものでした。線路沿いの角地という現在の土地は、その意味で理想的だったと思います。ここは電車からたくさんの人々が目にしますし、道路を歩く人々にとっても、街のイメージを変えるような影響力をもっていると思います。そのため、この魅力的なコーナーに面して礼拝堂を設けることを、設計の一番最初に決めました。おそらく委員会のみなさんも、この土地を見て同じことを考えられたと思います。

 ただし、難しい問題がふたつ生じました。ひとつは、線路沿いであるため踏切の騒音が大きく、静かな礼拝堂をつくりにくいことです。もうひとつは、線路沿いに礼拝堂を建てますと、方位的に礼拝堂の南側に集会室と牧師館が2階建てで建つことになり、礼拝堂への日照がわるくなることです。この「音」と「光」をめぐる問題は、建物を廉価な木造で設計せざるを得なかったために、いっそうてごわい問題になりました。そのため私の設計作業は、「音」と「光」の問題をいかに解決するかに、最も苦心しました。

 「音」と「光」の問題は、キリストの教会にとって特別な意味をもっていると、私はつねづね感じてきました。理由はいくつかあります。たとえば、もし仮に、祈りのための礼拝堂に街の騒音が大量に入ってくるようなことになれば、いっそのこと静かな自宅で独り祈っていた方がましだ、教会に行くまでもない、というようなことになりかねません。そのような礼拝堂たりえぬ施設を、信者でもある私が設計するのは許されない、という気持ちがありました。あるいはまた、聖書における主の第一声が「光あれ」であったことも、忘れることができません。天地創造の最初のみわざは「光」の創造であり、と同時に、それをもたらしたのは主の「声」でした。そしてこの「声」は、礼拝堂のなかで聖書を「音読」することによって、幾度も反芻されます。他のどんな建物にもまして、礼拝堂の設計においてこそ、「光」と「音」は尊重されねばなりません。

 「光」と「音」については、屋内だけでなく屋外の設計から尊重することを考えました。外壁は無垢の木で覆っていますが、礼拝堂の部分については凹凸のある割肌板を用いています。その理由は、細かい凹凸をもった壁面をつくることで、外壁そのものを「光」に反応させるためです。ちょうど日差しが壁面と平行に落ちる時刻になると、礼拝堂の外壁に細かい光と影が入り乱れ、光のエッチングに包まれたような状態になります(線路側の外壁は日没前、線路と直交する道路側の外壁は正午近辺)。また、この割肌板は塗装をかけていないため、数年かけてダークグレー色へと炭化していきますが、その時点の礼拝堂は、ほぼ完全なモノクロームの外観となり、いま以上に光と影を鮮明に現わすことになると思います。その光と影を背景として、コーナーの十字架と、教会の銘板と、葡萄のツタを模した教会の入口が、街角に浮かび上がることを想定しております。

 礼拝堂の屋内においても「光」と「音」を重視しました。「光」については、礼拝堂の壁面に窓を設けずに、天窓からのみ取り入れるようにしています。天井と壁を無垢の板で覆っていますが、その板幅を下から上へ小さくしており、最上部では糸のように見えるくらいに細くすることで、柔らかいガーゼのような透過光を得ることを意図しております。ややおおげさに申しますと、この世で最も美しく光が降り注ぐ場所を、駿府教会の礼拝堂にしたいと考えたためです。また、この礼拝堂は天井高が約7.5m(梁天端で約9m)、平面的には約9m四方(外寸で10m四方)あり、通常の木造の柱・梁で支えうる大きさを超えており、トラス材(直線材と斜材による複合材)の柱・梁で支持しています。そのため、壁厚は通常の木造建築の6倍弱の厚さがありますが(約750ミリ)、「音」については、この壁厚を利用して対処しております。すなわち、壁内に複数の遮音材・吸音材を積層させることにより、屋外からの騒音を遮断し、かつ屋内の音響状態をコントロールしています。このうち遮音については、コンクリート造の壁面と同等以上の遮音能力としています。また音響については、残響時間をコンサートホールと講堂の中間値である1.5秒とし、賛美歌と説教を明瞭に響かせることを意図しています。

 それ以外の特徴として、この礼拝堂の素材は全て自然素材であり、塗装やビニールクロスを使用していないことがあります。その理由のひとつは、材料の寿命を考えた場合、ビニールや樹脂といった人工素材は極めて短命であり、その短命なもので自然素材の表面を覆うと、自然素材本来の寿命の長さが活かせないためです(そのため、過去の高名な礼拝堂はかならず石・レンガ・木といった自然素材だけでつくられており、塗装やビニールクロスは使用されておりません)。また、もうひとつの理由として、礼拝堂の望ましいつくられ方は、ビニールや樹脂といった安易な素材を用いることでなく、自然の恵みである素材を丁寧に用いることだと考えたためです。ただし、この私の考えは、今日の施工常識を覆す考え方であり、施工者にたいして難易度の高い工事を強いることを意味します。その意味で、かならずしも信者ではない多くの職人さんたちが、難易度の高い工事に根気よく取り組んでくださったことを、みなさんにもお伝えしたいと思います。今まで述べてきた私の設計意図は、工事を請け負ってくださった杉山工務店さんの献身的な努力がなければ、建物の姿をとることはなかったと思います。謹んで、ここに感謝の言葉を記させていただきます。

 最後に、私からみなさんへ、ひとつお願いがあります。この礼拝堂は、基本的に生の声で礼拝を行えるようにつくってあります。もちろん、難聴の方や別室の方のためのマイクやスピーカーも設けておりますが、それらをどのように用いるかについては、みなさんに委ねられております(それらの設備に全面的に依存するか、あるいは難聴の方へのみ音声をトランスミッターで届けるなど補助的に用いるか、など)。私のお願いは、1人でも多くの方へ、マイクを通さない生きた声で、主の御言葉を伝える礼拝日を設けていただきたい、ということです。そのための音響設計は充分に行っております。さらにまた、自然の光だけで聖書を読めるように、天空照度も計算しております。そして1年後には、ポジティフ式のパイプオルガンがフランスから届くように手配してあります(パイプオルガンは電子オルガンとは異なり、パイプを通った風が自然に音を発生するように考案された楽器です)。ですからこの礼拝堂は総じて、みなさんの生きた声と、天から降り注ぐ光だけによって、礼拝を行うことができるのです。クリスマスの朝だけでもかまいません。イエス様のお生まれになった日に、主が与えてくださったみなさんの生きた声で、天から降り注ぐ光のなか、主のみわざを賛美していただきたいのです。そのような集いのできる教会はふたつとありません。駿府教会の集いに主の御加護が永遠にありますよう、日夜お祈りしております。

建築家 西沢 大良

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